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Interview vol.21
笹川陽平×竹下雄真

2020年を、健常者と障害者が共存し一緒に活躍できる時代のキックオフにしたい。

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笹川陽平(ささかわ・ようへい)1939年1月8日生まれ。公益財団法人日本財団会長。世界保健機関 (WHO) ハンセン病制圧大使など、さまざまなポストを歴任。日本船舶振興会初代会長・笹川良一の三男として生まれ、明治大学政治経済学部を卒業後、ビジネスを手がける傍ら父親の海外支援活動に随行。1965年に韓国のハンセン病療養所を訪れたことをきっかけに活動分野を国内外の人道的支援へ移し、日本財団の理事となる。1989年に理事長に就任。2005年に会長就任、父の時代から築いてきた長年の経験やネットワークを生かし、財団の活動をパラリンピックサポートセンターの設立など、新たな分野に広げている。ハンセン病人権啓発大使(日本国)、ミャンマー少数民族福祉向上大使(日本国)に就任。2013年2月にミャンマー国民和解担当日本政府代表(日本国)に就任。日本人で初めて『法の支配賞』を受賞。

竹下雄真(以下:竹下):
日本が迎える今後の非常に大きなイベントといえば2020年の東京オリンピック・パラリンピックです。この一大イベントを迎えるに当たってお聞きしたいのですが、前回の東京オリンピックを迎えた時の日本、そして東京の雰囲気、空気感とは、どのようなものだったのでしょう。

笹川陽平(以下:笹川):
戦争に負けた日本という国を再建させるため、一致団結して取り組もう、という雰囲気にあふれていたね。当時は学生で細かいことまでは覚えていないけれども、今みたいに国民がバラバラなことを考えてはいなかったのは確か。印象的だったのが、開会式当日はあまり天気がよくない、と天気予報でいわれていて、みんながやきもきしていたこと。でも「天皇晴れ」という言葉があってね。「天皇陛下がお成りになると必ず晴れる」というこの言葉をみんなが信じていたら、開会式当日は実際に真っ青な青空。ブルーインパルスが大空に素晴らしい五輪の輪を書いた時は、とても感動したよ。

竹下 :
当時と今では、時代がまったく違うんですね。

笹川:
そうだね。しかし、パラリンピックは当時、目立たなかったけど、パラリンピックという言葉は日本の発明らしいよ。2012年のロンドンでは、パラリンピックの入場券が完売した。このイベントには素晴らしいヒューマンストーリーと、人の心を動かすパワーがある。ロンドンが感動をもって終わったことで、これははっきりと言える。今後はパラリンピックが上手くいかないと、本当の意味でのオリンピックの成功とは言えない。

竹下 :
そうですね。日本財団は、パラリンピックサポートセンターの設立を支援されています。

笹川:
パラリンピアンもそれを支える事務方も、本当に大変な状況だからね。皆さん海外遠征も自費だし、事務所もない。一流選手であっても、奥さんが家で帳面をつけているなんて普通。スポーツ庁から資金を出そうとしても、なかなかそこまで回らないのが現状。そこで、日本財団のビルにパラリンピックセンターを作り、バックオフィスとして日本財団の職員が経理をしたり、ルールの改正の書類が海外から英語で来たら翻訳したりと、選手達が動きやすいようにというサポートしているわけです。競技人口が二人、なんて競技もあるし、選手の平均年齢は35歳〜36歳かな。何度も出場している人がまだまだ多く、競技のすそ野が広がっていない。なんとか若い人に興味をもってもらいたいものです。

竹下 :
パラリンピックの成功のカギは、国民への認知をもっと高めることですね。

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笹川:
そもそも、みんな知らなすぎる。パラリンピックという言葉は知っていても、どんなルールのどんな競技種目があるか、わからないのが現状。それをこれから啓蒙していくのが、私達の仕事ですよ。今後は地方にもどんどんパラリンピアンを行かせますし、SMAPにも協力してもらい、まずは関心をもってもらう。そこからです。この前も駒沢で駅伝を開催したのだけど、障害者スポーツは家族や関係者で200〜300人集まればいい方。でもSMAPが来たから、ということで1万7千人が集まってくれました。SMAP=パラリンピックという図式が定着してくれたら、非常にうれしいね。彼らに実際にブラインドサッカーなどを体験してもらえたのも、普及に向けたいい機会だった。

竹下 :
競技として見ると、激しくて面白いものも多いですよね。例えば車椅子ラグビーなんて、すごい勢いでぶつかり合って、もうほぼ格闘技ですよね。

笹川:
いろいろな人に競技を実体験してもらいながら、理解を深めてもらいたい。その時に大事なのは、それが「障害者」という目で見られない世の中を作っていくことだね。

竹下 :
障害があっても、大きな可能性を持っていることに変わりはないことを、今の社会に示していく必要があります。

笹川:
そもそも健常者にだって、可能性に向かってチャレンジしようとしない人がたくさんいるわけですよ。だからオリンピックを、そういう人達が「ハンデキャップのある人がこれだけのことができるのだから、自分達も何かをやらなきゃ」という、感動や生きがいのヒントを得る場にしなければならない。私は2020年を、健常者と障害者が共存し、一緒に活躍できる時代のキックオフにしたいと思っています。実は、もともとそうだったんですよ。昔はどこに行ったって、白い杖を突いて歩いている人がいてね。そういう人を見かけたらそばに寄って行って「おじさん、どこ行くの? 連れて行こうか」「手を引こうか」と声をかけたものですよ。コミュニティには本来、目の不自由な人もいれば、耳の不自由な人も含まれている。当たり前のことですが、健常者だけで世の中が構成されているわけではないんですよ。それがなぜか、近代化の中でセパレートされていった。正直、そこには日本財団の責任もある。高度成長の中で、空気のいい郊外に障害者の施設を作ろう、とやっていたら、街がいつの間にか健常者だけのものになってしまった。だから障害者に嫌がらせをするような人間や、無関心な人間が出てくる。

竹下 :
社会構造が変わってしまったのですね。

笹川:
ですから日本財団は、20年ぐらい前からいっさい障害者や老人のためのハコモノは作っていない。そしてもう一度、障害者も、そして老人も街の中に戻って来てもらおうと考えている。例えば街中に、老人達が憩える「託老所」や、障害者が来て仕事ができ、給料をもらえるような場所をたくさん作ろうと思っているんだ。人間社会っていうのは本来、いろいろな人から成り立っている。それを子供のころから自然と認識できるような社会にしていかなければならない。どんどん細分化して貧富の差が出て、金持ちは金持ち、貧しい人は貧しい人となっていくのはダメ。もう一度、社会を再構築しなくてはいけない。

竹下 :
どうしてそんな風になってしまったのでしょう。僕らの親父世代は高度成長の中で、一所懸命働けば生活レベルが上がり、いいモノを買えて幸せになれる、と思っていた。そして洗濯機もテレビもオーディオも車も買った。確かに生活はよくなった。ところが気づいてみると、高収入や物質的満足感を得ることで手に入れられると思っていた、肝心の心の幸福感が得られない。今の日本人は、やっとそれに気づき始めている気がします。

笹川:
多くの人はまだ気づいていないんじゃないかな。昔の日本人はみんな働き者だったけれど、今は二分化している。そもそも、働き場所を一所懸命見つける時代じゃない。「働くのは週に2度。あとは自分の趣味をやりたい」などと、働く側が条件を出している。その傍ら、人手不足で困っている企業がたくさんある。そんな、実におかしな時代ですよ。

竹下 :
この閉塞感ある世の中を、スポーツでどう変えていくか。僕らはそれを常に考えています。

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笹川:
今はみんな、土日と祝日を入れたら年間127日も休んでいるんだよ。今の日本人は働き者でも何でもないし、ダラダラやってて、効率も世界で高いレベルにはない。成果が上がっていないわけです。それを変えるのは皆さんの仕事だね(笑)。健全な精神と、健全な肉体。そのバランスが取れていることが大事。筋肉ばかりムキムキになって、精神がひ弱な奴がいっぱいいるからね。ぜひ、肉体改造だけじゃなく精神改造もやってほしいね(笑)。

竹下 :
ところで会長は、ご自身の健康管理についてはどう考えていらっしゃいますか。

笹川:
日本人はみんな、どうすれば健康になれるか知っていますよ。何が身体にいいか、悪いか。そんなものはテレビを見たら、毎日のようにやっているからね。でも、みんなやらない。やっても続かない。それだけの話。小さなことでも、続けなきゃだめなんだ。そして続けるには、強い意志がなくてはいけない。私の場合、毎朝5時に起き、毎日、腕立て伏せを200回やっていますよ。あとは竹踏みを1000回。ひと汗かいたらシャワーを浴びて、事務所には7時半に来て、9時までに事務仕事は終える。そこから外出したり、来客があったり、会議があったり。それと、ビルではエレベーターを使わない。オフィスで私の部屋は7階だけど、階段で上がる。多ければ1日4回〜5回、アポで出かけるけれど、4回出かけるとトータル1000段だからね。これは20年以上続いている。ゴルフも2ラウンドだよ。フランス、イギリス、フランスと3週続けて海外に出かけ、夜に東京に帰り、翌朝からゴルフを2ラウンドだよ(笑)。指導者は常に健康じゃないといけないんだ。心の病を持っている人間に指導されたら、会社はどうなるんだよ(笑)。自己管理ができない人間は、指導者とはいえない。

竹下 :
すごいです。会長は海外出張が多いので、時差ボケなど体調管理も難しいのではありませんか!?

笹川:
何も難しくない(笑)。昨年は0泊3日を3週間続けたよ。家を10時半に出て、12時20分発の飛行機でバンコクに行き、バンコクの空港で3時間待ってからチェンマイ行きの飛行機に1時間乗り、朝の9時半に着いて夕方まで会議をして、6時半の飛行機でバンコクに戻り、3時間待って日本行きの飛行機に乗る。朝6時半に東京に着いて、そのまま事務所に来る。その0泊3日。みんな大変だ大変だと言うけれど、何が大変なのかわからない。だって、ボタンを一つ押せば酒を持ってきてくれるんだよ(笑)。家で「おい酒!」なんて言おうものなら「あんた勝手に飲みなさい!」と言われるからね。そんな素晴らしい空間で過ごせるのに、何の不満があるのかわからないよ(笑)。

竹下 :
会長の体力とバイタリティはすごいです。

笹川:
物事をポジティブに考えるかどうかですよ。みんな難問に当たるたびに「困った、困った」と言う。でも僕には「困った」なんてない。問題を解決するアプローチは詰将棋と一緒。「こういうやり方もいいし、逆にこっちから攻めたらどうだろう」とか、どうやって問題を解決するのかを詰将棋のように考えるのは、すごく楽しい。問題が起こるたびに「ああ困った困った。どうしよう。飯が喉を通らない。ヤケ酒でも飲むか」となっていたら、もったいない。詰将棋のつもりでポジティブに考えたら、そこに余裕が出てくる。自分自身で自分を鍛えるしかありませんよ。強くなれ強くなれと言っても、決してなれるものではない。人はそれぞれ違うからね。僕の場合、孤独に耐える訓練を若い時からしてきたから、強くいられるのかもしれないな。人と群れるのが嫌いだね。

竹下 :
会長は交友範囲が広いと勝手に思い込んでいました。正直、意外です。

笹川:
知人はたくさんいますよ。でも、学生時代の友達などとはつき合わない。日本は群れの社会だから、常にみんな群れたがる。農耕民族は群れなきゃやっていけないからね。田植えだって村祭りだって、みんなで共同してやるものだったから。でも今は違う。日本財団の職員にもよく言うんだけれども、この国は「個の確立」ができない。自己責任という概念はないんだよ。飛行機もすぐに「安全に飛んでますからご心配なく。ちょっと揺れますけど大丈夫です」なんて言うけれど、安全に飛んでもらわなかったら困る(笑)。そんなことを。いちいち言ってもらう必要はないよ。新幹線も「3分遅れで発車しましたが、ご迷惑をおかけしました」なんてことをよく言うけれど、そんなアナウンスはいらないよ。

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竹下 :
確かに、海外には一切そういった放送のない飛行場がたくさんありますよね。すべて自己責任。その精神は日本にありません。

笹川:
これは民族性だし、決してすべてが悪いわけではないけれど、これからは変わっていかないとまずい。みんなお互いに無関心でありながらも、群れていないと心配なんです。そして最近は、スマートフォンを使って顔が見えない同士が群れるようになっちゃった。これは問題だと思います。人間、一人で生まれてきたのだから一人で死ぬんですよ。みんな生まれた時は平等で、一斉にスタートして死に向かって歩いていく。いずれ必ず最後は一人なんだから。

竹下 :
ここまでお話させていただいて、会長のエネルギーにひたすら圧倒されています。会長はこれまでの人生の中で、落ち込んでしまうような経験はなかったのですか。

笹川:
ないなあ。だって落ち込んで、最後どこ行くの? それによって飯が食えなくなるの? 死ぬの? 飯が食える前提条件があるのに、少々ぜいたくすぎやしないかと思うんですよ。経営者ならば会社がつぶれるリスクはある。でも、つぶれたらまたやればいい。楽だよ。だって命取られるわけじゃないんだもの。そもそも、恐怖の限界は命なのだから。僕なんてもう、命取られることすら恐ろしくないよ。

竹下 :
では最後にお聞きします。今、笹川陽平という人間を突き動かすものは何なのでしょうか。

笹川:
今、社会をよくするためにいろいろなことに取り組んでいるけれど、結局は自分自身のためでもある。自分が納得したいからなのだと思う。だって自分の人生だから。人間は常に、死に向かう旅の途中にいる。自分がいかに悔いのない人生を送るか。そこに尽きるんじゃないかな。それが結果的に社会の役に立てばいいこと。それだけだと思う。みんなよく言うんだよ。「社会のために何かをしたい。困っている人を助けたい」って。でもそんなの失礼な話。最初から人様のために役立とうと思ってやっているNPO法人などは、だいたい10年もすればなくなる。自分の生き様を通じて、たまたま結果的に人様の役に立てればそれが一番。そういうことなんです。どんな大金持ちだろうと、死ぬ前に病院のベッドで「今までの人生は何だったのだろう」と思ったとすれば、その人の人生はすべて台無し。「よくぞここまで生きたな」と思えたら、死は怖くない。だから、今の僕を動かしているものは、死ぬ瞬間に悔いを持ちたくない、という気持ちなんだろうね。でもなかなか死なないね。いつでも死んでやろうと思っているけれども「憎まれっ子世に憚る」なのかな(笑)。

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Location:日本財団ビル January 2016
Photo: Yoshiki HaseEditor: Naruhiko Maeda (Office221)